二、
自らの『運命』を、朧は十の歳で知る。
剣の師であり、もう朧の親でもあった桐也が、始めて朧に涙を見せた時であった。
まず語られたのは、朧は十八までしか生きられないということ。
父、五十嵐望と同じ死に方をするということだった。
*
それは、平安の世を生きた五十嵐家の先祖、冴宮雅(さえみやのみやび)に始まる。
都で評判高い陰陽師として活躍していた雅は、ある妖の退治を依頼された。
神の遣いである鬼と呼ばれ、人々の恐怖を駆り立てた妖、『月鬼』。
あまりの強大さ故に、雅はそれを自らの身に封じた。しかし、その膨大な霊力は体内で『呪い』として生き続けたのである。
一族で一番の幼子一人に受け継がれる『呪い』は、その身を不死にし、膨大な霊力を与える。
その代わり、段々と自身の『霊力』が蝕まれ、身は衰退していく。
一族の幼子は、元服を前にして死に絶える者が続出したのだ。
そこで幾重にも家を分けることにより、冴宮の血は守られてきたのである。
何年もの時を経て、今や、その血は二十三回目分家、五十嵐家にのみに残っている。
望は十八で、息絶えた。
その前も、その前も…戦後、呪いの寿命は『十八』より変わることはなかった。
―――――だから、朧も十八までしか………生きられないんだ……
朧の耳には、師の涙声が鮮明であった。
*
特に、朧はすることも無かった。
いつもなら大体右京の手伝いをして、少し京の街を散歩すれば一日の前半は埋まる。
後半は、いつもの仕事だ。
いつもならそれが繰り返されるのだが、今日は違っていた。
右京はさっさと家事を終えてしまったらしい。自室で読書に励んでいる。
そして、外は雨が降り始めていた。
ちなみに、左京は自室で幸せそうな顔で昼寝を楽しんでいた。これは、いつものことであるが。
その結果、朧は暇を持て余していた。
昔から、こんな日はたまに有った。
幼い頃、『呪いによる不死の力』が原因で、周りから疎外された。
子供なら必ず作るであろう、擦り傷や切傷。それが目の前で瞬時に治る光景は、尋常ではない。
子供から親へ、疎外の輪は段々と波紋を広げ、ついには学校を辞めざるを得なかったのである。
朧十二歳、小学六年の夏のことだった。
それからというもの、朧の師は武術は勿論、学問や日常生活における作法までもが、桐也となったのだ。
朧は、元から頭の冴えた子であった。次々に知識を飲み込んでは、自分のものにする。
師なき今でも、歳の割に博学である。様々な知識を得ることが、知らず喜びとなっていた。
しかし、文武両道、優れた少年であったが、やはり人付き合いだけは苦手であった。
朧は自室に戻ることにした。何冊か読みかけの本があったはずだ。
居間を出て縁側に差し掛かる。
閉じられた雨戸ががたがたと音をたてる。
―――――随分と風が吹いてるんだな…。
すぐ外の庭の桜はもう散り尽くされてしまっただろうか、と少し気にかかったが確かめることは出来ない。
今雨戸を開ければ、廊下が水浸しになるのは明らかだった。
朧の自室は、この廊下を突き当たった、屋敷の一番奥の部屋だ。
そして、手前は桐也の自室になる。ここは、庭の桜が正面に見えるのだ。桐也は春になると、昼間はいつもこの襖を開け放っていた。
朧は、ふと師の部屋の襖を開けてみた。
桐也が家を空けてから、何も変わらない。右京も頻繁に掃除に入っている。いつ本当の家主が帰って来ても、困りはしないだろう。
右の本棚には、大分年季の入った本が並べてある。朧は、全て読み尽くしてしまった。辞書の類いまでも、である。
―――――そういえば、押し入れにまだ数冊有ったって言ってたな…右京。
押し入れの襖にかけられた金具を外し、右の襖を静かに横に引いてみる。
布団が上段の大半を埋め、下段は箱で埋まっていた。
何だか、少し気がひけた。
布団の中に本が有る筈はないから、勿論箱の中である。
おそらく、中には私物が詰められている。漁って良いものか、戸惑いが生じたのである。
とりあえず手前の箱だけ…と、しゃがんで目の前の箱を引き抜いた。
がた、と鳴った。
手にした箱ではない。押し入れの中からの音である。
手元の箱を傍らに静かに置くと、朧は薄暗い押し入れを見やった。
箱が有った空間に、大きな板が上から被さっている。左隣りの箱にまで被さって、板は右下がりに上から外れかかっている状態だ。
上、というのは、押し入れの上段と下段を分ける境の部分である。
何分古い屋敷である。もうどこにガタがきてもおかしくないとは思っていたが、それにしても不可解である。
よく見れば、板の外れた隙間から中には空間が有ることに気付いた。ますます不可解である。
朧は板を外してみることにした。こうなると、箱を探るどころでは済まないくらいに私物をひっかき回していることになるが、聡明とはいえ、やはり好奇心の方が勝る年頃である。
それに、本当に壊れているのだとしたら修理をしなくてはいけない。
少し引っ張ると、板は簡単に元有った場所から外れた。奥行きは有るものの、大した大きさでは無かった。そして、自然に剥れ落ちたものとも思えない。
朧は空いた穴の下の箱を全て出す。そして、中に手を入れた。
左の空間へ腕を延ばす。
何も、無い。
ならば左は…と半ば押し入れに身体を入れつつ腕を反対側へと延ばした。
指先に、何かが触れた。
手全体を使い全貌を探ると、細長い箱の様なものである事が分かった。
これに似た感触を、朧は知っている。
引き摺り出す様にそれを下ろす。
それは、やはり細長い箱であった。目立った損傷が無いところを見ると、恐らく桐で出来ているのだろう。
朧も同じ様なものが自室に有る。
これは、刀を納めるものだ。
蓋には少し掠れた焼印が有った。
「朧月………」
文字を撫でる。
蓋を開けるとそこには案の定、布に包まれたものが姿を現す。
包みを開く。少し、埃の臭いがした。
この時の感情を、何と表そう。
何故か、震えを隠せなかった。
どん、と地鳴りのような音。
響く雷鳴に、ふと外の方を振り向く。
雨戸が、無い。開け放たれている。
雨脚も絶え、雷鳴さえも響かない。
ただ、正面に見える桜の元に、知らぬ人影が一つ佇んでいた。
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