三、



反射的に、刀を握りしめていた。


銘を『朧月』というこの刀は、驚くほど朧の手に馴染んだ。同じ名前を持つだけ ある。



「誰だ!」


その場に立ち上がり、庭へ向かって吠える。


経験上、朧は何かを感じとっていた。



―――――人ならぬ…もの。





びりびりと、空気が震動するような感覚。


強い霊力が、その場をしんとさせる。


見れば、雷鳴どころか雨脚さえも止んでいた。




「君は、己の『運命』について、何も知らないんだね」


男は、言った。




朧は、刀を携えて静かに部屋を出る。距離が、縮まった。



「可哀想な子だ。君は、そうやって目の前の斬るべきものが何かも解らずに、刃 を振るう事しか出来ない、可哀想な迷い子」


「貴方は………」



―――――何を、知っているんだ。



目前に立つ青年は、その端整な顔立ちに愁いを帯びていた。



「君は、己の『運命』について何を知っている?」



風が、二人の合間に花弁を散らす。



「幼くして絶えざるを得ない命?人ならぬ恐ろしき力?それ故の孤独?」



朧は、すっかり手にした刀を下ろしてしまっている。


青年の言葉に、引きつけられている。




「君の『運命』は、そんなものでは、ないんだよ」




―――――何を……何を、知っているんだ。




「己の『運命』を知りたければ、『黒い蝶』を追わねばならない。まず…君は『 昇り龍』に会うことになるだろう」


そこで、青年はふっと笑みを浮かべた。



「刻は来ている。…待ってるよ、五十嵐朧くん」


「ま、待って下さい!貴方は誰なんですか!?僕の『運命』とは…」


「『黒い蝶』を追いなさい。そうすれば、君は全てを知る。…良きも悪しきも… …ね」



そう言って踵を返した背中に、ばさりと音をたてて黒いものがはためく。




翼、だった。


その黒翼が今一度大きくはためく。




―――――――夢、かもしれない。



目が覚めた様に辺りを見回せば、雨脚は何事も無かったようにその音を響かせて いた。


右手に握り締めた、刀の感触だけが確かだった。











暗い暗い、闇の底にそれはある。


この世のものか、あの世のものか…この場所に存在するもの達さえも知り得ない のである。



此処は、地面から地下へ向けての大穴、と例えるのが良いだろう。

その大穴の内側を、階段が螺旋状に取り巻いている。そして、その所々の壁に扉 らしきものが無数に点在している。



今、大穴の中央を古めかしい昇降機が底を目指し、ゆっくりと降りていた。



やがて、底が見え始めた。
壁に付けられた松明の仄かな明かりが、円を描いて昇降機を迎えている。


そのほの暗い闇の底に、ただひとつ影が有った。



「ご苦労様です、翼怜さん」


まだ幼い顔立ちをした、少年のようだ。
仄かな明かりに照らされ、その身体から生える人ならぬ耳と、三つに裂けた尾が 見て伺えた。


「へぇ…君が本日付で『特階隊』入りの、猫又くんか」

「はいっ。深山銀ノ助っていいます〜。翼怜さんの噂はかねがね!」


愛らしい顔立ちが、綻んだ。
翼怜と呼ばれた青年は、静かに昇降機から降りる。



「今丁度、主様にご挨拶が済んだとこです。お会いになられますよね?」

「そのつもりだよ。報告事項が沢山有るからね」

「あぁ……例の少年」


昇降機が、ごうん、と音をたててゆっくりと上へ昇って行く。


その影が、段々と小さくなっていった。


「…翼怜さん、どうしてアレ使うんですか?」

銀ノ助が、アレ、と昇って行く昇降機を指差す。


「翼怜さん、立派な黒翼お持ちじゃないですか。それでひゅーっと降りてくれば 良いのに」

俺だってぴょいんぴょいん跳んで来ましたよー、と笑みを向ける。



「この黒翼を、汚らわしいもの達に見せたくはないんだよ。……ただ本能のまま に侍ては、地に投げ出された汚れた欲を喰らう…上の畜生共にはね」



そう言うと、翼怜は歩み始める。
その先には、闇しかない。


銀ノ助の横を通り過ぎると、その闇へと身を投じて行った。



「……畜生…ね」


闇へ向けて一瞥すると、銀ノ助は壁を跳ね上がって行った。








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