慣れない道を少し迷いながら、恭平は夢幻へと続く路地の入口に辿り着いた。


自転車はすぐ側に停めておく。こんな人目のつかないでは、特に迷惑をかけることもないだろう。





「…ぁ……」


路地を少し入ったところに、人影が見えた。

龍之介だった。


「ぇっと、佐伯さん…?」

「…」


踵を返し、龍之介はすたすたと路地を進む。


「え、ちょっとちょっと!」

わけもわからないまま、恭平は後を追った。



「あの…」


「…何?」


振り向かずに、龍之介は短く答える。


「何で、入口で待っててくれたんですか?…あ、待っててくれてたんですよ…ね?」


見知らぬ路地とはいえ、ただの一本道。

薄暗いとはいえ、もう恐怖を覚えるほどの年齢ではない。

ただの気遣いなのか、子供扱いなのか。とにかく、訳がわからない。



「…やっぱわかんないか、まだ。この路地、夢と現が交じってる場所だから、慣れない人間が迂闊に入ると戻れなくなったりする」



「……………しっかり着いていきますそれはもうしっかりと!」


恭平は最大の感謝と恐怖の念を覚えつつ、その背中を必死に追った。





「恭平くん、ご苦労様です。大事なお休みでしたのに…」


店内には、いつものソファーに座る紫水の姿があった。

龍之介は、その近くにあるソファーに腰を降ろす。


「いえ、思ったより簡単で良かったです」


龍之介に習い反対側のソファーに座ると、恭平は西野の家での出来事を話し始めた。





「…そうですか。ひとまず、これで西野くんの家は浄化されましたから、ご家族 に影響は無いと思います」


「良かった…」


恭平は肩を撫で下ろした。ふと見渡すと、知った影が無いことに気付く。




「あれ、幸季はどうしたんですか?」


「あぁ、彼は相川真紀さんの身辺調査に行ってます。…噂をすれば、帰って来た みたいですね」


入口を見れば、開いたドアから幸季の姿が見えた。

身軽なところを見ると、さほど遠出はしていないようだ。


「只今戻りました」


「お疲れ様です。どうでしたか?」


「とりあえず、今知り得ることは大体調べられたかと」


取り出した手帳をめくりつつ、ソファーに着く。


小机を囲み、皆が揃う形となった。








***************








「相川真紀。家族は両親と弟が二人。共に健在。西野くんとは同じ中学出身で、 付き合い始めたのは中学の時」


手帳を広げ、幸季が読み上げる。



「去年の5月、彼女は突然の死を遂げた。死因は、自宅マンションのベランダか らの転落死。彼女は10階に住んでいたから、ほぼ即死状態だね。その時家族は 全員留守で、周辺に目撃者も無し。遺書や争った形跡が無いことから、警察は最 初事故死と判断した」



「でも結局自殺に断定されたんじゃなかったかな…」


身近に起きた変死。無情にも噂は全校を騒がせた。


恭平も少なからず耳にしたことがある。


「そう、最終的に彼女の遺書が見つかってね。これがコピー」

今度は、手帳に挟んであった紙を広げる。





『憎いやつがいる。許せないやつがいる。消したいやつがいる。その願いは通じ たのだ。私は救いの夢を見た。


夢の中では、見知らぬ「彼」が私に語りかけた。

「憎しみを天に還し、その身は地に還したもう者が、聖なる裁きを愚者へと降す 。お前は選ばれし存在である。お前は聖なる存在である。」と。

私は聖なる存在である。愚者よ、私の精神と肉体が在るべき場所へと還る時、貴 様に裁きを降すだろう』


まるで、文学作品の一節ような文章がそこには綴れていた。





「この遺書のせいで、精神錯乱による突発的な自殺と断定された」


「…彼女は憎むべき者に裁きを降すため自らの命を捧げた、という訳ですか…… 」


紫水は、考え込むように腕を組んだ。



「ま、まさか…ただそんな変な夢を見ただけで自殺なんて……」


「彼女の夢を既に夢魔が汚し尽くしていたとしたら、それは有り得ないことじゃ ない」


「…え?」


幸季の言葉に、恭平は遺書から目を話した。


「そうですね。そう考えるのが妥当でしょう」


納得顔の3人の中、困惑顔が1人。

そんな顔を見て、紫水は小さく笑った。しかし、すぐに表情は少し厳しくなる。


「…恭平くん。"夢"というものは、人間が"魂"で見るものだと言われています。 その夢を汚されるということは魂、つまり精神の根本を汚されるということです 。汚れが酷ければ酷いほど、精神に異常が現れてくるんですよ」



恭平は、部屋の片隅の鳥籠を見た。


あの儚げな蝶が、人を狂わせる。

現に、自分の身近な人物を苦しませている。




「あの蝶…夢魔って、何なんですか……?」


「……怒り、憎しみ、様々な人間の負の感情から生み出された、もの。…それ以 外は、現在調査中の段階です。それほど謎が多く、恐ろしい存在なんですよ」




籠の蝶の羽音が、妙に部屋へ響いた気がした。








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