「お疲れ様でした、恭平くん」





紫水が優子の『記憶』を無事抜いた後、恭平は共に夢幻に戻っていた。

家に帰って即刻眠りにつきたかったのだが、渡したいものがあるからと半ば強制 的に連れて来られたのだ。





「いえ………何かまだ理解できないことだらけですけどね……とりあえず、西野 と優子センパイが救われたならそれでいいです」


本当に、そう思う。

夢魔によって狂わされた二人の顔。恭平は二度と見たくはなかった。


「はい…君のおかげですよ。それでなのですが……恭平くん、早速ですが相談が あります」


紫水は椅子に座り直し、姿勢を正した。

恭平も自然とそれに習う。





「……何となく分かってます。夢幻に入らないか、ってことじゃないですか?」

「…その通りです。君は『夢環者』…夢魔を捕らえるのではなく、『只の夢へと 環す』能力を持つ貴重な存在です。『不可解な者』が現れた今、是非ともこれか らも力を貸して欲しい」

「紫水さんは…その『夢環者』じゃないんですか?」


あの黒い霧を白い蝶に変える方法を教えてくれたのは、誰でもない、目の前の人 物だった。


「はい、私は只の夢操師ですよ。…数多くの夢操師を知っていますが……その中 で私が知る『夢環者』は、君を入れて三人だけです」

「…………………さ………!!!」


貴重な存在というのは大袈裟な物言いだと思っていたが、文字通り『貴重』だっ た。


「ですから、君の存在は本当に助けとなるのですよ………」





―――――これは、切実に断りづらくなってきた…。


恭平は変な汗をかきながら、心中とは裏腹なことをふと思っていた。





胸のうちは、既に、決まっている。





「…俺、今回いきなり自分が夢操師だって言われて、巻き込まれて……正直、参 ってます。でも………もう、嫌なんです」


紫水の方を向き直った。





「嫌なんです。人があんなにも狂った顔をするのを見ることが………。それが見 知った顔なら、尚更です。これ以上、誰にもそんな思いをしてほしくはない。俺 にそれを防ぐ力が有るなら……使ってやって下さい」


そこで恭平は勢いよく立ち上がり、同じ勢いで深々と頭を下げた。



「これから、お世話になりますっ!!!」



「…そうですか……。有難う恭平くん。嬉しい限りですよ、やはり君がそう言っ てくれて」





―――――……………やはり?





「幸季くん、持って来て下さい」


奥の階段の方へと、紫水が声をかける。しばらくすると、幸季が降りてきた。


「はい、どうぞ恭平」


幸季から渡されたのは、鍵だった。

あまり見たことがない形の鍵だ。元は金色だったのだろうが、今はくすんであま り輝かない。


「これは…って、呼び捨てで呼ばれてたっけ俺……?」

「夢幻に入るんだよね?だったら今から、僕の後輩になる。くん付なんて身分相 応じゃないね」


そう言って、幸季はいつもの笑みを浮かべた。

「む、むかつく………」


「それは君の部屋の鍵です。奥の階段を上がって、突き当たりの部屋ですよ」


「もう整ってるから、見てきたら?」





嫌な予感がした。





奥の階段を駆け上がり、突き当たりの部屋を見つける。

与えられた鍵をドアノブ下の鍵穴に刺して、回す。すんなりと開いた。


ドアノブを回して、押す。

少し開けた視界に、部屋が飛び込んできた。


「お…俺の家具……!」





そこには、見知った家具が勢揃いしていた。





「ちょっ、今の…今のアパートは!!?」

「引越しの手続き、したよ」


向かいの部屋から、寝起き顔の龍之介が現れた。


「あと、家具車で運んだのも俺。大家のおばさんにありがとうございました言っ たのも、俺。………疲れた」





―――――…お前もとんでもないな奴に捕まったね。





―――――あぁ………今ならその意味が分かる……。俺が断る筈ないって……計 算済みだったのか…。





「ほら、後自分で掃除しろって」


下から、幸季がバケツと雑巾を持ってきた。勿論、雑巾は一枚だ。


「て、てつだ…」

「…何?」

「………いや……いいです……」


前途多難、恭平はひしひしと感じた。








***************








秋の空は、高い。





校舎の屋上で、恭平は心地よい空気を胸いっぱいに吸った。





「でも、良かったじゃん!只の過労で」

「あぁ。何か情けないなー、過労でぶっ倒れるなんてさ。しかも姉貴と一緒なん て!」


そう言って、西野は笑った。





あれから一週間もせず、西野は優子と一緒に退院した。

精密検査上、何も問題のない二人は、過労で倒れたということになったらしい。


西野は、すっかり『夢魔に関する記憶』をなくしていた。おそらく、優子もそう なのだろう。





―――――救われたんだ。





恭平は、肩を撫で下ろした。





「…夢を、見ていた」


恭平は、びくっと身を震わせる。


「ど…どんな?」

「俺は、普通に生活してる。家、学校…ほんと、何も変わりない日常の世界だよ 。それを……何なのかな、『妙な世界』が包んでるんだ」


―――――『妙な世界』………?


「そうだな………例えたら、『夢』みたいな世界だよ。『夢』という籠の中に、 俺達の『現実』が有るんだ。……よく分っかんねー夢だよな!」

「…あはは、忘れてた方がいいってそんな夢!」





―――――『夢という籠の中の現』………。





恭平の心に、不安という棘が刺さった気がした。


―――――…今度、紫水さんに話そう。


そう決め込んだ。


―――――西野と優子センパイは救われた。今は、それでいいじゃんか。





こんなに青い青い空の元だ。





心の雲は、一時でも晴らすことにした。





To be continued……….





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