荷物は、さほど無い。
どうせ一日だ。大した物はいらないだろう。
そう思った恭平は、迷わず普通のリュックサックを手に取り、荷物を詰めていったのだ。
土曜日の朝だ。
起床7時。出発は8時。
少し急かしすぎだとも思ったが、時間が無いのだろう。
「大変だねー、研修生は」
朝食のトーストを手に、幸季が嫌味混じりに言う。
「大変ですよーだ。ごちそうさまでした!」
階段を降りて来る紫水を確認すると、恭平は残りのトーストを口に放り、席を立った。
「準備は出来ましたか?」
「はい、バッチリです」
言いながら、リュックを背負う。
「では、行きましょうか」
黒のロングコートを纏った紫水は、静かに入口へと向かった。
「少しの間、留守をお願いしますね」
「はい。大丈夫です」
幸季が答えると、奥の台所から龍之介も顔を出した。
「暁緋さんによろしく」
「えぇ。伝えておきます」
疑問符を浮かべる恭平を尻目に、紫水は扉を明ける。
「行きますよ、恭平くん」
扉から吹き込む外の風は、冷たかった。
マフラーを巻き直し、紫水の後をしっかりと追う。
扉を出ると、紫水は見慣れない小道へと入って行った。
少し進むと、開けた場所に出た。
大きなガレージがある。
「ここで待っていて下さい、恭平くん」
「え!」
こんな空間で一人にされるのは、まっぴらだ。
恭平が不安そうな顔を向けると、紫水は少し笑った。
「大丈夫ですよ、ここはもう『夢堕つる現の彼方』ではありませんから」
そう言って、ガレージへと向かう。
思わず、恭平は辺りを見回した。
『夢堕つる現の彼方』。
夢と現が混じり合う空間。
まだ、現実との区別は到底つきそうになかった。
ガレージのシャッターが開く音がした。
ゆっくりと開くシャッターの下をくぐり、紫水は中へと姿を消す。
段々と中の様子が見えてきた。
乗用車が2台と、バイクが1台。
そのうちの車1台に紫水は乗り込んでいた。
黒い車体が、ゆっくりとこちらに向かってくる。
見ると、外車らしい。
紫水は左側に座っていた。
恭平の近くで、その車体は止まる。
と同時に、シャッターがゆっくり閉まっていくのが見えた。
「助手席にどうぞ」
「あ、はい…」
おずおずと扉を開けた。
よく分からないが、恭平は高級感に負けている気分になる。
乗り込むと、荷物を前に抱え扉を閉める。
「く、車で行くほど遠いんですか…?」
「いいえ、大体30分程で着きますよ」
車が動き始めると、恭平は慌ててシートベルトをしめた。
都会を外れた道ばかりを走っていく。
木々も多い。
もうすぐですよ、と紫水が声をかけた先は山道に近かった。
舗装されていない砂利道を抜ける。
そこには、木々の合間から大きな屋敷が見えた。
その手前で車は止まる。
「この屋敷ですよ」
車を降りた恭平に、一足先に降りた紫水は声をかける。
高級別荘地。
恭平の脳裏に浮かんだ第一印象はそれだ。
ぼんやりと屋敷を眺める恭平の横を過ぎ、紫水は門を開ける。
「亜珠奈さん、ご無沙汰してます」
大きな庭を抜けて門へて向かって来る女性。その人に、紫水は会釈と共に声をかけた。
「紫水くん、ご苦労様。…あ、その子ね?」
紫水の横からひょっこりと顔を覗かせる。
恭平が前を向くと、女性と目が合った。
「あ、えと、始恭平です。よろしくお願いします…!」
勢いよく礼をすると、女性は恭平の元へと近付いて来る。
「紫水くんから話は聞いてるわ、恭平くん。私は織澤亜珠奈。ここの雑用係ってとこかな。よろしくね」
差し出された手を、恭平は握り返した。
茶色をした長い髪。
人懐っこい笑み。
美人な人だというのが、正直な感想だ。
「さ、入って!あの人首を長くして待ってるからさ」
恭平の肩を軽く叩くと、亜珠奈は門へと戻っていく。
それに、紫水も静かに続いた。
「恭平くん、この門をくぐったらしっかり着いてきて下さいね」
『夢堕つる現の彼方』ですから。
紫水が言い終わる前に、恭平はしっかりと紫水の傍らに付いた。
庭を抜けると、屋敷に見合う程の大きな玄関をくぐる。
恭平がふと奥を見ると、近くの階段に人影を見た。
そして、目が合ってしまった。
女の子だ。
遠目でよく分からないが、おそらく年下だろうと感じた。
「真白ー?ほら、こっちおいで!」
亜珠奈が少女に声をかける。
しかし、少女は急いで降りて来た階段をまた駆け上がって行った。
「もう…。ごめんね恭平くん」
「え?いや、いいえ…。彼女は…?」
「彼女は、私の妹ですよ。黒宮真白といいます」
亜珠奈が、ぷっと吹き出した。
恭平は、声無き驚きが顔に出ている。
「妹と言っても、彼女は養子なんですけどね」
そんな恭平に、紫水は苦笑した。
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